えぶりずむ。

常識の破壊。真を見極めて生きる。本来の人間性の追求。

善と悪。「人」にその基準が決めれるのか。

先日、あるアニメを観ました。

 

 

 

そのシーンの一部ですが、

 

 

 

船に乗っているとても誠実な青年

 

 

 

海を見渡すとサメに追いかけられている子供のクジラを見つける。

 

 

 

青年がサメにヤリを投げつけ見事サメを撃退。

 

 

 

子供クジラは助かり、青年は嬉しそうにほっと胸をなでおろす。

 

 

 

そんなシーン。

 

 

 

一般的にはとても誠実なかっこいい青年の行動ですよね。

 

 

 

そして、、、ふと疑問になってしまった。

 

 

 

これははたしてなのだろうかと、、

 

 

 

以前、手塚治虫の「ブッタ」でこんなシーンがあった。

 

 

 

ブッタと一緒に旅に出た子供が、旅の途中で死のふちをさまよう。

 

 

 

なんとか助かった際に、未来を予知出来る特殊な能力をさずかり

 

 

 

自分の死ぬ日までも予知できてしまう能力だった。

 

 

 

ブッタは真理を見つけるべく苦行の修行をしている最中

 

 

 

死ぬ日が分かっているのにいつも明るい子供を見てなぜ怖くないのか

 

 

 

とても疑問だった。

 

 

 

そして死の日が訪れ、ブッタはどうしても死んで欲しくないと子供を必死に見守った。

 

 

 

目を離したスキに子供は目の前から消え、

 

 

 

そして奥の森でお腹をとても減らした数匹の子供オオカミに自分を食べさせた。

 

 

 

子供「子供がいっぱいで餌が足りなくて飢え死にしかけている、

   すぐお腹いっぱいにさせてあげるね」、、、と

 

 

 

そんな姿をブッタが見つけ現実を受け入れられず発狂し悩み続ける。

 

 

 

そして、ブッタは気づく

 

 

 

「生きることは他の生き物の命の上に成り立っていること」

 

 

 

「生きるためにそれを食べることは自然の摂理だということ」

 

 

 

「子供を食べたオオカミもお腹がいっぱいになれば、無益な殺生をしたりしないということ」

 

 

 

「人間だけが、無駄な殺戮や無意味な争いを続け、そこから多くの苦しみを生み出していること」

 

 

 

、、、と

 

 

 

ブッタは上や下などがあれば、真ん中を行くことと説いています。

 

 

 

はたして子供クジラを守るためサメを退治した青年は

 

 

 

善、そして正義、なのか

 

 

 

善と悪、その基準を人が決めれるか。

 

 

 

地球と生命は人が作ったものでは無い様ですし、

 

 

 

本当に考え深いです。

手塚治虫のブッタ↓

 

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