えぶりずむ。

常識の破壊。真を見極めて生きる。本来の人間性の追求。

〝家族〟という組織は、〝常識〟なのか。

アインシュタインの言葉

「ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という」

 

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こんにちは、あきひろです。

 

 

 

 

タイトルにもある通り、

 

 

 

 

〝家族〟という組織は、〝常識〟なのか、

 

 

 

 

ということについてお話したいと思います。

 

 

 

 

〝常識〟とは、アインシュタインの言葉によると、

 

 

 

 

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」、、と

 

 

 

 

必ずしも言えることは、

 

 

 

 

人は〝知っていること〟よりも、

 

 

 

 

〝知らないこと〟の方が多い、ということです。

 

 

 

 

そのことを理解せずに得意気に語るということは、

 

 

 

 

やはり少々、物足りなく感じます。

 

 

 

 

〝他人〟という言葉がありますが、

 

 

 

 

どこか「安心、妥協」をしたい時に使う言葉の様に感じます。

 

 

 

 

「他人だから関係ない」

 

 

 

 

そう一言放ってしまえば、

 

 

 

 

「本当はやるべきだったかも」

 

 

 

 

そんなことまでも一打で吹き飛ばしてしまう様な感覚の言葉です。

 

 

 

 

逆に、

 

 

 

 

「家族だからやる」

 

 

 

 

これもまた、やりたくもないことをしている様に感じます。

 

 

 

 

 

その対極の〝義務感〟を私たちは当たり前に遂行している、

 

 

 

 

 

義務感というものを、例えば人物にしてみましょう。

 

 

 

 

 

「義務感さん」のために、

 

 

 

 

やらなければいけないことを躊躇し、

 

 

 

 

そこまでやりたくもないことをやる、

 

 

 

 

義務感さんは、

 

 

 

 

〝心〟の意に反することをしてもいい様な、

 

 

 

 

偉大な方、

 

 

 

 

ということになります。

 

 

 

 

義務感さんのためなら、

 

 

 

 

したくないこともやりたいことも躊躇して従います。

 

 

 

 

ということです。

 

 

 

 

〝心〟というものはかなり流動的な物です。

 

 

 

 

スーパーボールが跳ねる様に予想だにしない動き方もします。

 

 

 

 

自由に飛び跳ねるスーパーボールを予想する方向にだけ飛ぶようにする。

 

 

 

 

するとスーパーボールの魅力が一つ減り、寂しく感じます。

 

 

 

 

 

近代、日本では、

 

 

 

 

家族の1人が犯罪を犯したとき、

 

 

 

 

当人だけでなく家族も誹謗中傷の対象となる。

 

 

 

 

「親のしつけはどうなっている!」

 

「いったいどんな家族なんだ!」

 

、、、と

 

 

 

 

〝家族〟とは、

 

 

 

 

あくまで〝個〟の集合体であり、

 

 

 

 

〝他人〟同士から生まれたコミュニティである。

 

 

 

 

 

あくまで〝他人同士〟が住むこの地球というコミュニティ、

 

 

 

 

 

最小単位(家族)を誹謗中傷の対象にせず、

 

 

 

 

 

地球規模の偏見のコレクションルールを、

 

誹謗中傷の対象にすることはできないのだろうか?

 

 

 

 

 

そう、

 

 

 

 

なぜそんな〝個〟が出てくるのか、

 

 

 

 

 

なぜ、そんな犯罪が起きるのか、

 

 

 

 

 

最小単位ではなく地球規模で、

 

 

 

 

 

そうすれば、

 

 

 

 

 

ちっぽけな見栄や世間体から解放され、

 

 

 

 

 

親を恨む子、

 

 

 

 

 

子を責める親、

 

 

 

 

 

家族で仲間だと主張してるはずの人たちが、

 

 

 

 

財産相続、離婚、慰謝料、親権などの争いを裁判沙汰に発展させ争う。

 

 

 

 

最悪殺し合いである。

 

 

 

 

そんな家族や夫婦同士の争いもなくせるのではないだろうか?

 

 

 

 

恋愛、

 

 

 

 

同棲、

 

 

 

 

家族、

 

 

 

 

これらが誰しも遂行するのが当たり前とされる近年、

 

 

 

 

 

これでは、誰がやっても〝簡単〟に出来ることだと勘違いしてしまうだろう。

 

 

 

 

 

だが、これらはそう簡単なものではない。

 

 

 

 

 

近年で上手く遂行している人たちは難解なことと覚悟をして取り組んでいるはずだ、

 

 

 

 

 

AIの研究をされている「黒川 伊保子」さんの「女の機嫌の直し方」では、

 

 

 

 

 

「女性の脳」と「男性の脳」の作り自体が違うことを説明している、

 

 

 

 

 

 

私流に簡単に説明すると、犬と猫が一緒に暮らす様なものである。

 

 

 

 

 

 

犬と猫の生き方の違いを見ればわかるだろう。

 

 

 

 

 

 

女と男で、簡単に分けたが、人間の個性は千差万別。

 

 

 

 

 

最近では、樹木希林さんが亡くなり、

 

 

 

 

 

樹木希林さんの家族感が話題になりました。

 

 

 

 

 

結論を言ってしまえば、家族感なんてものは

 

 

 

 

 

人によって違うんです。

 

 

 

 

 

それを世間一般で遂行している道順に乗せようという行為自体が、

 

 

 

 

〝浅い〟ということになります。

 

 

 

 

じゃ深ければ良いのか、

 

 

 

 

ということになりますが、

 

 

 

 

それもまた千差万別だとは思いますが、

 

 

 

 

ただ、殺し合いになるほどに憎しみ(ストレス)が積み重なることは少なくなる、

 

 

 

 

私はそう思います。

 

 

 

 

〝常識〟はあなたの〝心〟が生み出したものではありません、

 

 

 

 

他の人が決めた〝ルール〟です。

 

 

 

 

みんなにはそれぞれの〝リズム〟があり、

 

 

 

 

それを知れるのは自分自身しかいません。

 

 

 

 

もし世間常識に振り回され苦しんでいる方がいらっしゃれば、

 

 

 

 

まずは常識を〝リセット〟することです。

 

 

 

 

そして〝心〟の声、自分の〝リズム〟を聞いてください。

 

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